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【寿都】GWも中盤戦!

2013年4月29日8:47 4,122 アクセス 2 コメント

GWは最初の3連休が今日で終わり。

この3連休は、出掛けようにも腰が重くなるような寒い日が続きましたね。

後半は好天に恵まれることを期待しています!

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さて、みなとま~れ寿都では、GW期間中のお弁当販売が充実♪

この春「道の駅弁」に認定されることが決まった「船澗弁当」「弁慶弁当」

この2つを一度に楽しめる2色弁当が期間限定で登場です!

天然岩のり小女子の佃煮ホッケのそぼろと、寿都の味覚がふんだんに使われています。

また、昨年のGWに販売していた「かきめし」「ほたてめし」も再登場。

定番の「ホッケのつみれ汁」と一緒に、お昼ご飯にいかがでしょうか?

「豚ホッケ揚げパン」「ホッケカレーパン」など、手軽に食べ歩ける一品もどうぞ!

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海側出入口では、西村なぎささんによる「寿都の宝 写真展」を開催中!

「寿都の母と子」や「寿都の男」などのテーマで写真展を開いてきた西村さんの今年のテーマは「寿都の宝」

寿都の未就学児63人のさまざまな表情が並んでいます。

3月より開催している、札幌市立大学写真部と寿都の写真愛好家による合同写真展「違う視線が紡ぐ景色」も引き続き館内にて展示中です。

あわせてご覧ください。

 

そしてそして、連休後半の5月3~5日は、毎年恒例の海鮮炭火焼き!

ホタテや先日解禁になった寿かきも豪快に焼き焼き!

こちらもお楽しみに♪


2 コメント »

  • 松山電気開発所

    寿都町のみなさん

    横間小学校卒業生の母(明治44年1月)は、横間生まれです。
    1.
    私が、こどもころから今なお
    生まれ故郷の横間を話をする。

     横間小学校の同級生と、その家
     小学校時代の街並み
     神社からまっすぐさがった崖下(がけした)の海で泳いだこと
     ニシンが、来たとき、島牧のじいちゃん、ばあちゃんの家まで海岸を歩いたこと
    2.
    江戸幕府から明治になって、わずか44年たった時に生まれた母
    明治5年・学制が発布されて
    ニシン景気でにぎわった寿都は、
    北海道の先端小学校の教育制度を子供たちへ実施出来た。

    内地(本州)の古い因習(部落民差別など)を身を持って知っている大人たちは、
    子供たちだけは、
    因習の無い北海道で
    のびのびと成長させたいと願っていた。
    3.
    北海道のみならず全国的に見ても
    寿都・横間小学校の教育制度は、
    その後の北海道の小学校教育制度に多大な影響を与えた。
    父は、小樽高島小学校4年卒業生です。
    母は、寿都横間高等小学校6年卒業生です。
    毎朝、新聞が届くと
    母が、最初に読んでから父に渡し
    父は、写真と見出しを見ているようでした。
    4.
    平成24年夏 初めて寿都町の資料館を見て母の子供時代を思い浮かべた。
    子供のころから母に言われてきた
     寿都横間の街並み、
     横間小学校同級生たちと、その家
     隣に山ざきさんが、住んでいたこと
     盛大な祭りと露店でにぎわったこと
     怖い崖下(がけした)には、泳ぎやすい岩場が、有ったこと
     男まさりの同級生やまちゃんと、よく遊んだこと

    母は、
    横間をはなれても
    このような出来事を
    思い浮かべながら
    今まで心のささえとして
    生きてきた!
    5.
    私の両手の甲と両腕には、
    40か所以上の小さな黒い焼け跡がある。
    小学校へ上がる前には、よく遊んだ。
    母は、何も言わなかった。

    小学校へ入学したとたん
    母の態度は、急変した!
    学校から帰ると
    食台(おぜん)の上に仏壇からの線香立てに赤い線香が、立っていた。
    おぜんの上に教科書を並べて
    予習復習をするという。
    窓から近所の遊び仲間が、待っていた。
    逃げようと、おぜんのまわりを回ったが、小学1年生は、すぐつかまった。
    そして線香が、焼き付いた。
    予習復習が、終わるまで続いた。
    隣近所に聞こえるように大声で泣いた。
    誰も止めてくれなかった。

    今数えてわかるだけでも40以上の焼け跡
    今でも母に会うときは、
    長袖で見られないようにする。
    6.
    私の長男小学4年生のとき
    近所のテレビゲーム機に入りびたりになった。
    ゲームやりたさに
    親を無視するようになったので
    初めて本気で怒った。
    だが、その後から押し寄せるいたたまれない後悔の念で
    最後となった。

    だが、母は、
    40回以上も無理やり捕まえては、
    焼いた!

    当時の漁村では、

    学校へ行くと生意気になる! 

    と言われていた時代です。
    7.
    平成24年 母に遺骨をどこに納めるか聞いた。
    すぐ返事が、返った。

    じいちゃんが、入って眠る墓に入れてくれ!

    そうすると決めてから、
    母と一緒に墓地をめぐって歩いた。
    そこは、小高い丘の上で子供時代を過ごした海原が広がって見える。

    この海原を思い浮かべてこそ
    混乱の日本を生き抜いてこれた母だ。
    40回以上も感情をくり返した母だ。

    平成25年のこの夏も
    母と小高い丘から
    広い海原をながめる。
    耳元ではっきり言う。
    宗派を離れてこの墓に入るから
    待ってな!
    8.
    寿都のみなさん
    島牧のみなさん
    母にすばらしい子供時代を過ごさせてくれて
    感謝しております。

    佐渡から兄弟2人で渡って来たじいちゃんは、
    みなさんのお世話になっております。
    母と私もお世話になりますので
    今後もよろしく願います。
                      敬具

  • 寿都町02

    松山電気開発所 様

    コメントありがとうございます!
    お母様は横澗にいたころの思い出、たくさんお持ちなんですね。
    つたない情報発信ですが、寿都の話がお母様のもとに届いて、また思い出話を語るひとつのきっかけになればうれしいです。
    これからも頑張って寿都の情報たくさん発信します!

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